朝靄とネクタイ

自己顕示欲と僻みのミックスジュースブログ

 恐らく全人類の99.99%は凡人で、残りの0.01%が何かを成し得る人間なんだと思うけど、実際成功者とか言われている人も凡人で、運が良かっただけとか努力を重ね続けたとか、割とごく普通の理由で事を成しているからだ。

 何者かになる人間ってのはその根本が異なっていて、過程と結果が伴っていないと思う。大地主の元に生まれた文豪とか。

 僕はその何者かだと思っていた。痛い人間だったに違いないが、その視点が入った時点で僕は既に凡人の域でしかなかったのだ。本当に何者かであるなら、そんなことは考えもしないはずだ、と思うのも僕が凡人である一因である。

 僕は去年の何処かで自分は凡人だと気付いて、何者かになろうと思った。それを実行しようとした。時間は限られた程しかなかった。

 実家の大掃除をしていたら、親の借金の督促状を見つけた。丁度10年前のものだった。自分が当たり前のように生きていることは親の金でもない誰かの金で食わされてきた結果なのだと悟った。

 僕は学費と生活費をアルバイトで稼がなきゃならない。私立大学に通っているから、週6でバイトをして、この春休みには月250時間は働かなきゃいけないかもしれない。ただ、それも当たり前だと思っているし、別段親や親類に不満がある訳でも無い。寧ろ自分の人生なのだからこの生活が無理なら大学を休学して国立にでも入り直せば良いのだから、何の問題も無いはずだ。そう考えていたからこそ、借金の督促状を見つけたとき心が揺らいでしまった。

 

 一体僕はこのまま何者かになれるのか?

 考えていても埒が明かないと思った。実際、年が明けたからだ。他人との比較から自分を優位に立たせそうやって自己肯定感を得てきた僕だが、その心情(信条)は今年も変わらない。99.99%の大学生は僕より下の人間だと思っているし、思うだけなら問題は無い。何者かになるという最高の自己肯定の為に、今年も僕は、他人を否定し続けるしかないのである。

 

 時間があればこの辺の状況をブログで細かく書いていきます。欲しいものリストとかで乞食出来そうなので。