朝靄とネクタイ

自己顕示欲と僻みのミックスジュースブログ

「にじさんじ」が魅せるバーチャルYouTuberの理想と現実

魔が差したので完全に主観の記事にします。

 

僕はバーチャルYouTuber(以下Vtuber)がそこそこ好きです。

そこそこ、という表現にはいくつかの理由があるのですが、大きな一つに「こいつは好き」だけど「あいつは嫌い」という理由があります。

そんなの気にする方がおかしいと思いますが、事実、Vtuberというコンテンツ上、気にせざるを得ないと思います。

今回はその理由を深めながら、Vtuberコンテンツを、特に「にじさんじ」を例に取って説明していこうと思います。

 

 

今回は以下の記事を参考に、自らの見解を述べたものとなっています。

careerhack.en-japan.com

 

Vtuberの描く理想:キャラクター化

言ってみれば「魂の宿ったキャラクター」のように感じられる。例えば、従来のTVアニメはかわいいイラストに可愛い声という組み合わせだったのですが、そこにゲーム実況をしたり、映画のレビューをしたり、バーチャルYouTuberにはそれぞれ個性とネットが掛け合わせっています。

Vtuberコンテンツはキャラクターとの親和性が高いです。

普通、三次元人間ベースの二次創作(ナマモノ)が作られることはありませんが、キャラの仮面を被ることにより、あくまでもキャラとして扱うことが可能になります。

その上、コンテンツの発信側(この場合はVtuber)がレスポンスを行うことにより、相互的に、キャラクターという偶像を作り上げることに成功していると感じます。

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キャラクターを享受する側がキャラメイクに関われる、Vtuberのコンテンツを端的に表すとこうだと思います。

 

その上、

  • Vtuber
  • クリエイター
  • 視聴者

の境目が非常に曖昧で、コンテンツの享受側でありながらコンテンツを発信する側にも容易に立てるのがVtuberの最も大きな強みです。

つまり、

  • Vtuber(かつクリエイターかつ視聴者)
  • クリエイター(かつ視聴者かつVtuber)
  • 視聴者(かつVtuberかつクリエイター)

となる、まさに異常なコンテンツであることが分かります。

 

Vtuberの描く現実:所詮は素人である

ここで留意しておきたいのが一つの初歩的な要素、「Vtuber自体が素人である」という点についてです。

 

先ほども挙げたように、Vtuberをキャラ化できるのは大きな強みでもありますが、どう弄っても有無を言わぬキャラクターと違い、Vtuberには、中の「人」がいます。

この「人」の部分が少しでも「キャラ」からはみ出ると、キャラの享受側からは凄く違和感となって残ります。

例を挙げるとキリが無いですが、最近だとこれです。

 要は、『キャラとしての「名取さな」を自由に弄っても良いよってのではなく、名取さなの中の「人」が不快になるようなことはするなよ』と、コンテンツの発信側が訴えている訳です。

いやいや、そんなの当たり前だろ、相手は人間なんだぞと思う貴方は正常なのです。

 

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個人的には、Vtuber視聴者は主にこの3パターンに分けられると思います。

ごく稀に、「④中の人だけ観る」人もいますがそれは全体の2%もあればいいところでしょう。

面白いことに、この3パターン、Vtuberによって全く異なる数字が出ると思います。

例えば、Vtuberブームの火付け役である「バーチャルのじゃロリ狐娘youtuberおじさん」ことねこますさんは、①0%②40%③50%④10%ぐらいではないのでしょうか。

さらに言えば、電脳少女シロさんは、①95%②5%③④0%になります。

※あくまで個人の主観です。

 

問題なのは、その数字や見方を画一化する視聴者がいることです。つーかそういう視聴者しかいない。

そもそも、中の人のキャラへの干渉度が違うのに(キズナアイさんやねこますさんを見れば明らか)、すべてをキャラとして見たり、中の人も含めてキャラとして見るのはかなり間違いであると思います。

 

Vtuberという、人と傀儡の狭間にいる以上、「人」が干渉できる(している)「キャラ」の部分を見るのが普通であり、コンテンツの発信側は少なくともこの部分を見て欲しいと思っているはずです。

つまりは、人を愛でるようにキャラを愛でろということです。

当たり前ですが、どのコンテンツにおいてもそれは鉄則です。

有無を言わないキャラの部分をイエスと勘違いした結果、ズレを生じます。Vtuberの場合は特にそれが起こると言えるでしょう。

 

「にじさんじ」というコンテンツの暴力

これらすべての「ズレ」を残したまま、コンテンツの最前線を走る集団、それがにじさんじです。

にじさんじの視聴者の大半は、中の人がトーシロの一般人であることは容易に想像しています。しかし、それも含めてキャラとして確立させている。

本来の視聴者の構図です。「人」の上に「キャラ」が成り立っている。

 

ただし、にじさんじの最大の構図は、「キャラ同士が関わり合いを持つ『集団』」であることです。

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この「キャラだけの繋がり」は、先に挙げたVtuber視聴者の「①キャラだけを見る」層の増加を促します。

なおかつ質が悪いのは、キャラ同士で繋がれるから、想像以上に一歩目が軽く、享受者にも分かりやすい、という点です。

 

既に「にじさんじ」のメンバーは、「人」として扱うには取り返しのつかないエリアに踏み込んでいます。完全にキャラとして独立しています。

また、複数のバーチャルYouTuberを所属させ、プロデュースしていることにも狙いがあります。ひとつの動画に複数のキャラクターが登場する。すると「美兎ちゃんと凛ちゃん話している!」と、会話しているだけで萌える視聴者がいたり。そんな、タイアップによる相関関係が、よりファンとの絆を深くしているのだと思います。

違う。そうじゃない。

あくまで「人」である扱いの必要性もあるVtuberというコンテンツで、完全にキャラに振り切っている、現ににじさんじの二次創作は圧倒的に多く、その多くが意味不明な百合展開だったり、完全にVtuberの管理下、干渉エリアを超えています。

二次創作のクリエイターに歯止めを利かせられないエリアに来ているのです。その時点で、好き嫌い問わず何かしらのズレが生じます。

 

にじさんじはこれをセーブできる人が誰もいない。

その上影響力が高いから他のVtuber及び視聴者に影響を及ぼす可能性が非常に高い。

現に私自身は、キャラか中の人、どちらかにかなり振ったVtuberしか見れなくなりました。(富士葵さん、ヨメミさんなど)

 

それ以外の、例えばにじさんじの放送を観るとする。

信者がキモすぎるんですよ。とても人に対しての反応じゃない。

稲村亜美に群がる猿のように、公式で苦言されているBLを平然と行うコナクラのように、アイドルやアニメのキャラと思い込み、人であることを忘れた囲い方をしている猿どもがいる動物園みたいな放送や動画を観る気なんて起きる訳ないじゃないですか。

TwitterならTwitterで、どこの馬の骨とも分からないような同人作家が、とても人間に行うような扱いではない、自分の妄想を満たすためだけに描いたオナニーみたいな絵や漫画が流れ、そこにまた猿が群がる。

 

Vtuberってそんな構図なのか!???

 

兎も角、悪いのはVtuberの方々では無く、我々の方にあります。

Vtuberを「人」とも「キャラ」とも扱う、そういうところに僕は魅力を感じています。

ただの萌え声配信者に群がる豚というありきたりな構図で終わるのか、人でもキャラでも無い部分を楽しみそれを相互発信するという見たことも無いような構図で終わるのか、個人的には凄く楽しみですが、前者はカスなのでやめてください。

 

あと、文野環ちゃんクッソ可愛いから観てください。

www.youtube.com

 

サムネ画像は公式様からお借りしました。

nijisanji.ichikara.co.jp